今回は両国橋です、中央区東日本橋と、墨田区両国に架かる橋です。
今では隅田川と呼ばれていますが、江戸時代まで、大川と呼ばれていました。
大川に架けられた、最初の橋は千住大橋です。
防備の意味もあり、幕府は千住大橋以外の橋の架橋は禁止していましたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火、大火事です、で、死者10万人とも言われる、犠牲者を出しました、大変な惨事です。
さすがに、これはまずいと幕府も考え、避難経路の意味も込めて、橋を架けます。
それが、この両国橋です、当時は、大川に架かる橋として、大橋と名付けられました。
架橋は、1659年(万治2年)と1661年(寛文元年)の二説あるらしいですが、そんなことはどうで良いかと、とにかく江戸の方々にとって、この上なく便利に、また避難経路の確保となったと思います。
まあ、自分は大橋で呼びやすいと思いますが、当時の方々は、通り名として、両国橋と呼びます。
これは、武蔵国(東京)と下総国(千葉)の二つの国を結ぶ橋、と言う意味から呼ばれるようになったそうです、なかなか、粋ですねえ、江戸っ子だけに。
ここから下流の位置に、新大橋が架橋されてからは、両国橋が正式名称になったそうです。
葛飾北斎の富嶽三十六景の12番目、御厩川岸ゟ両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ) は、なかなか意味深な作品です。
それと、東側だったか、橋のたもとに歌碑があります、赤穂浪士、大高源五の作、
「ひのおんや たちまちくだく あつごおり」
これです、撮影時工事中だったので、場所は違うと思います。
意味は、調べて下さい、本懐を遂げて、感謝という意味だそうです。
とにかく、歴史のある橋です、他の橋もそうですが。
橋銘板です、「りょうごくばし」とよみます、反対側は、ひらがなです。
すいません、良い写真がありませんでした、全景です。
今の橋は、竣工1932年(昭和7年)です。