永代橋、今回で最後にします。
たぶん竣工当時のものだと思います、橋名板です。
反対側は、ひらがなとなっています。
大正15年(1926年)の竣工から、どれだけの方がこの橋を渡ったのでしょう。
この橋を渡る時には、いろんな感情、喜んだり、悲しんだり、出会いを求めて、別れを悲しんだり、とにかく、様々な思いを胸に、みなさんはこの橋を渡ったと思います。
ですから、自分は橋というのは、単なる建造物ではなく、渡る方のいろんな思いがしみ込んだ、特別なもの、と思っています。
昭和20年(1945年)3月10日、あの悲惨な出来事、東京大空襲がありました。
この永代橋、上流の清洲橋を渡って避難された方は、大勢いたと思います、みなさん必死だったと思います。
おそらく、お父さんや、お兄ちゃんは、戦争で招集され、残ったお母さんと子供ら、じいちゃんばあちゃんが、必死で渡ったと思います。
書家の井上有一さんの、「噫横川国民学校」を見て頂ければ、すさまじさ、悲惨さが、無知な私でも、少しですが理解できました。
そういう様々な思いや、悲惨な光景を経験した橋です、これからは多くの、良い思い出を平和な世の中を経験してもらいたいと思います、完全に擬人化していますが・・・・
なので、自分はこの永代橋を渡る時は、感謝の気持ちで渡ります、いろんな感謝で。
中央区側の横断歩道から、5車線ですが、時間帯で、上り下りの車線数が変更になります、そのための信号が、〇×です。
まあ、なんにしても、100年ほど前に建造された橋が、現在現役で5車線の橋です、渡るたびに思います、「日本は、あと200年は大丈夫」と。