橋10 新大橋

今回は新大橋です、斜張橋です。

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中央区日本橋浜町と、江東区新大橋を結ぶ橋です、橋銘板です。

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千住大橋、両国橋に続く、隅田川に架かった3番目の橋です。

両国橋はもとは、「大橋」が正式名称だったため、その後に架けられた橋なので、「新大橋」と名付けられました。

新大橋の完成後は、大橋は両国橋が正式名称となりました。

新大橋の架橋は、1694年(元禄6年)です、徳川綱吉さんのお母さん(生母)の、桂昌院(けいしょういん)さんが、

隅田川って、橋が少ないし、江戸市民は不便だし、橋、作ってあげたら」

と言ったとか言わなかったとか、で、橋が架かりました、たぶんこの話は、盛ってると思います。

いずれにしても、新大橋完成で、江戸のみなさんは大喜び。

当時、東側の深川に住んでいました、松尾芭蕉さんが、めっちゃ喜んだそうです。

あまりのうれしさに、一句詠んだのが、この句です。

初雪やかけかかりたる橋の上

ありがたやいただいて踏むはしの霜

橋の完成が正月明けの4日だったので、この句だと思います、理系の自分でも、松尾芭蕉さんがすごく喜んでるのがわかります。

この句は、主塔(中央の柱)に飾られています、これです。

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今の橋は、1977年(昭和52年)竣工です。

橋の下ですが、ものすごい量のパイプが走っています。

電気、ガス、上下水道、電話ケーブル、その他、いろんな用途なんでしょうね。

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夜景の新大橋も、見ごたえあります、美しいです。

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橋09 両国橋

今回は両国橋です、中央区日本橋と、墨田区両国に架かる橋です。

今では隅田川と呼ばれていますが、江戸時代まで、大川と呼ばれていました。

大川に架けられた、最初の橋は千住大橋です。

防備の意味もあり、幕府は千住大橋以外の橋の架橋は禁止していましたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火、大火事です、で、死者10万人とも言われる、犠牲者を出しました、大変な惨事です。

さすがに、これはまずいと幕府も考え、避難経路の意味も込めて、橋を架けます。

それが、この両国橋です、当時は、大川に架かる橋として、大橋と名付けられました。

架橋は、1659年(万治2年)と1661年(寛文元年)の二説あるらしいですが、そんなことはどうで良いかと、とにかく江戸の方々にとって、この上なく便利に、また避難経路の確保となったと思います。

まあ、自分は大橋で呼びやすいと思いますが、当時の方々は、通り名として、両国橋と呼びます。

これは、武蔵国(東京)と下総国(千葉)の二つの国を結ぶ橋、と言う意味から呼ばれるようになったそうです、なかなか、粋ですねえ、江戸っ子だけに。

ここから下流の位置に、新大橋が架橋されてからは、両国橋が正式名称になったそうです。

葛飾北斎富嶽三十六景の12番目、御厩川岸ゟ両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ) は、なかなか意味深な作品です。

それと、東側だったか、橋のたもとに歌碑があります、赤穂浪士大高源五の作、

「ひのおんや たちまちくだく あつごおり」

これです、撮影時工事中だったので、場所は違うと思います。

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意味は、調べて下さい、本懐を遂げて、感謝という意味だそうです。

とにかく、歴史のある橋です、他の橋もそうですが。

橋銘板です、「りょうごくばし」とよみます、反対側は、ひらがなです。

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すいません、良い写真がありませんでした、全景です。

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今の橋は、竣工1932年(昭和7年)です。

献血01

趣味は何かと尋ねられますと、数がありすぎて、返答に困るのです。

スポーツはするのも、観戦するのも好きです、パソコン好きです、ジサッカー(自作家)です、ゲーム大好きです、お酒好きです、もちろん女性、大好きです、などなど。

その中で、献血があります。

痛いこと、注射が苦手、と言う方が意外と多いのですが、自分はまったく苦になりません。

初めての献血は、献血バスだったのですが、献血ルームの存在を知り、そこでお世話になっています。

初めての献血ルームは、秋葉原献血ルームです。

若い方はご存じないかもですが、古い献血ルームを知っています、駅前の広場にありました、今は駅前のビルの5階らしいです、行ったことありませんが。

この何年かは、船橋献血ルームでお世話になっています。

駅前のフェイスビルの7階です。

全血献血は間が開くので、成分献血をお願いしています。

まあ、間が開くのがいやだ、って意味がわからない、と注射嫌いな方に言われますが。

とにかく、痛いのが平気です、検査採血の時も、献血の針を射すときも、見ています。

だってそうでしょう、あの細い血管に、採血用の比較的太い針を射すのですよ。

入った瞬間、声には出さないですが、「すごい、グッジョブ」です、匠の技です。

自分にできる、唯一のボランティアだと思っています。

それと、献血ルームで知ったのですが、骨髄バンク、登録しました。

ずいぶん前に登録しましたが、合わないものです、まあ、親子でも25パーセントって言いますもんね、いまだ、連絡は無いです。

ほぼ、月一の献血ですが、いよいよ大台一歩手前になりました。

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カープのこと5

日本シリーズ、良い試合でしたが、負けてしまいました。

ソフトバンクはスキが無い、あれだけ主力選手が抜けているのに、カバーする選手層がハンパないです。

対戦相手は、SBなのですが、自分はなぜか、昔の西武を意識してしまいました。

現工藤監督、現役時代の工藤投手は良い投手でした。

決して身長は高くないのですが、良い球をほうるのです、打てなかった思いしかありません。

そして、解説の前SB監督の、秋山さん、西武時代、広島との日本シリーズでホームランを打って、ホームに入る前に、バック宙をしましたよね。

広島ファンにとっては、歯ぎしり以上の、悔しい思いを忘れることができません。

なんだか、自分にとっては、SB相手なのですが、どうしても「西武」という意識が残った日本シリーズでした。

負けると、いろいろ言われますが、自分は采配についての批判はありません。

レギュラーシーズンと変わらない打順だ、短期決戦では、大胆な打順組み替えが必要、主力選手でも、調子が悪い選手は、控えに回すべきだ、などと。

確かにそうなんですが、広島ほど、レギュラーシーズンで打順を組み替えなかったチームはありません。

今更、打順組み替えは、選手の意識に大きく影響すると思います。

それに、どの試合も、どっちに転んでもおかしくない試合だったと、自分は思います。

勝てたかもしれません、でも負けました、SBが一枚上手だったのです、それだけです。

34年ぶりでしたっけ、日本一になれば、まあ、今年はおしかった、としましょう。

セリーグ三連覇ですよ、新井さんじゃないですが、シリーズに連れて行ってもらっただけでも、感謝です。

10年前では、考えられない、幸せのシーズンを3年連続で経験させてもらいました。

リセットして、来年、またがんばりましょう、応援し続けます。

広島ファンにとっては、聖地、マツダスタジアム、新幹線からです。

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橋08 中央大橋

今回は中央大橋のこと書きます。

竣工は1993年(平成5年)です、千住汐入大橋ができるまでは、隅田川にかかる最も新しい橋でした、斜張橋です。

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1993年というと、終わりの方ですが、バブル期です。

中央大橋ができる前に、佃島開発があり、高層マンションが建ち並びます。

高層マンション一棟での、住民の方の数は相当なものだと思います。

ですから、佃島の人口が急激に増加したと思われ、恐らくこんなやりとりが。

当時は、鈴木都知事さんです。

住民さん「対岸に行くのに、佃大橋か、さらに下流勝鬨橋(かちどきばし)まで行かなきゃならないっす、新しく橋架けてもらえません?」

鈴木都知事さん「いいよ、お金あるし」

自分の想像ですけど、こんな感じじゃなかったのかと、中央区側から、高層マンションをバックに。

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で、バブリーな時期ですから、設計(デザイン)はフランスの会社にお願いしました。

と言うのも、隅田川とフランスのセーヌ川とは友好河川の関係にあります。

デザイン発注を受け、後のフランス大統領、当時のパリ市長であったシラクさんが、とても喜んだとか、喜ばなかったとか。

そのお礼としてかどうかは、わかりませんが、パリ万博に出品された、「メッセンジャー」と言う像を贈呈されました、まあ、料金に含まれているとは思いますが・・・

ちょっと見づらいかもですが、その像です、上流に向かっています。

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日本の兜(かぶと)を意識してデザインされたそうです、言われてみればそんな感じですね。

確かに、全体的にフランスっぽいし、バブリーな雰囲気ですよね、ちなみに、佃島からこの橋を渡り、そのまま道なりに行くと、突き当たりは東京駅です。

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この橋の特徴ですが、橋が直線ではありません、佃島から渡ると、左に曲がっています。

曲がった橋って、以外と珍しいのではないでしょうか。

それと、見ていると、なんか癒やされる感じがして、自分は好きです、中央大橋

橋07 清洲橋

清洲橋のことです、メインケーブルとハンガーロープのことです。

ハンガーロープの長さをどうやって決めるのかと、疑問に思っていましたが逆でした。

メインケーブルの形を先に決め、その形をくずさないように、ハンガーロープの長さを決めるのです。

メインケーブルの形ですが、この曲線は、放物線でもなく、ましてや、円弧でもありません、懸垂曲線(懸垂線、カテナリー曲線)と呼ばれるものです。

懸垂曲線とはどういった曲線かといいますと、2人で端を持った、たるんだロープの曲線です。

駐車場によくある、チェーン、電柱間の電線、蜘蛛の糸もそうです、普通に存在する自然の形状、曲線なのです、だから美しいと感じるんですね。

この曲線は、どのポイントをとっても、引っ張り応力が同じ、という、理系にとってはたまらない曲線です。

ですから、清洲橋の場合、メインケーブルを設置し、その形をくずさないように、ハンガーロープの長さを調整していけば良いのです。

清洲橋の鋼板製のメインケーブルです。

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あまり、見られた方いないと思います、清澄橋の下です、永代橋と同じで、鋼板を何枚も重ね、溶接ではなく膨大な数のリベット(鋲)で組み立てられています。

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アーチ橋のアーチの形も、上下が逆なだけで、懸垂曲線です。

懸垂曲線って、ほんと、美しいですよね。

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橋06 清洲橋

今回も清洲橋です。

構造は吊り橋です。

橋の種類は、種々ありますが、我々がよく目にしますのは、アーチ橋、吊り橋、斜張橋です。

隅田川の橋で言いますと、永代橋がアーチ橋、中央大橋斜張橋、そして、清洲橋が吊り橋です。

斜張橋と吊り橋って、同じもんじゃないのでしょうか、と思っていたのですが、専門家の方に言わせると、まったく別物だそうです。

さて、吊り橋構造の清洲橋ですが、釣るためのワイヤーが一切使われていません。

遠目に見ると、吊り橋そのものですが、ワイヤーの代わりに、鋼板が使われています。

これです、鋼板を何枚も重ねて、ワイヤーの代用品としています。

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橋を吊るための、ワイヤーをメインケーブルと呼びますが、鋼板製のメインケーブルと言うことになります。

メインケーブルと橋をつなぐケーブルを、ハンガーロープと呼びます。

清洲橋では、このハンガーロープもワイヤーではなく、鋼鉄製です。

おそらく、鍛造製の鋼鉄だと思います、中央の円筒状のものを回転させると、円筒の内側がねじになっており、締まる、緩むで、ハンガーロープの長さを調整できる構造となっています。

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さて、このハンガーロープですが、どうやって長さを決めるのでしょう。

自分は理系なのですが、橋梁関係は縁が無く、ずっと疑問に思っていました、で、調べてみました。

答えは、メインケーブルの形です。

長くなるので、次回です。

清洲橋って、本当に美しいです。

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